「石文(石手紙)」
現在のように一般人が文字を自由に読み書きできなかった遠い昔には、
遠く待つ愛しい相手に石に想いを込めて、その相手の場所に行く旅人に渡したそうです。
なんてロマンティックなのでしょう。
届いた石を両手に包み、相手の気持ちを感じる能力が僕たちにもあるということです。
このような感じる能力をこれから僕らは大切にしていかなければなりませんね。
石(いし、stone)は、岩石が水流などによって小さくなったもの。
砂(sand)よりも大きい。石よりも小さく、砂よりも大きいのは砂利(gravel)、小石(pebble)などと呼ばれる。
また、医学において、内臓にできるもの(結石)を石という。
胆石、膀胱結石など。
俗に、トランジスタや集積回路(IC)のことを「石」と呼ぶ。
物語・伝説における石
石は生物ではない。
また、木などに比べ、硬いという性質から変化の少ないものと捉えられる。
しかしながら、物語において石は、夜泣き石のように泣いたり、
子を産んだり、成長したりと様々な面を持っている。
君が代の中にも、「さざれいしのいわおとなりて」(さざれ石が大きな岩となって)と石が成長する様が描かれている。
また、メデューサ神話に見られるように、人が石になったという物語も数多く伝わっている。
このほか、特殊な性質を持つ石(主に宝石)には神秘的な解釈が付きまとい、
近代の例に於いてもホープダイヤモンドのように伝説に彩られた「石」も存在するが、その一方で殺生石のように有害なガスの噴出するところにある石(岩)が「妖怪の祟り」などの伝承を生んだりもしている。
石と信仰
日本の神社には、通常の神とは別に石が祀られていることが多い。
夜泣き石など特殊な伝説が伝わるものの他、陰陽石といわれる男女を表す石のこともあり、
これとよく似た方向性にはシヴァ・リンガのような陽物崇拝がある。
また、イギリスのストーンヘンジやストーンサークルなど、多くの文化において境界を表すものとして石がおかれている。
石は古く人間の一生(人生)というタイムスケールの中では、意図的に壊そうとでもしない限り、
大きな変化の起こらない、より長い時間を存在する(ともすれば永久不変の)存在だと考えられてきた。
このため石は永遠性の象徴として崇められ、民俗学上ではこういった思想が世代を超えて受け継がれる原始宗教と結びついていったとも考えられている。
この方向性には、不老不死に憧れを抱いた者の中に鉱物を永久不変の元として捉え、
それら鉱物から「不老不死のエッセンス」を抽出すればいわゆる「不老不死の薬」が作れると考えた者もいた。
こういった者の中には不老不死の妙薬として、鉱物から抽出される水銀を服用して中毒死した者も記録に残されており、
また錬金術において不老不死研究の過程でも、少なからず鉱物に永遠性の象徴を求めていったケースが見られる(→水銀)。
なお石を信仰する過程で、石仏など石を信仰するための形に加工することも行われたが、
流石に石といえども風化は免れず、古くから信仰を集めた石が長年にわたる浸蝕で文化財としての価値を減じている場合もあれば、置かれている環境の変化にもよって風化が急速に進行したケースもあり、文化財保護の上で大きな課題ともなっている。
夜泣き石の伝説
小夜の中山峠は、旧東海道の金谷宿と日坂宿の間にあり、急峻な坂のつづく難所である。
曲亭馬琴の『石言遺響』(文化2年)によれば、その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいた。
ある日お石がふもとの菊川の里(現・静岡県菊川市菊川)で仕事をして帰る途中、中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ苦しんでいた。
そこを通りがかった轟業右衛門という男がしばらく介抱していたのだが、
お石が金を持っていることを知ると斬り殺して金を奪い逃げ去った。その時お石の傷口から子供が生まれた。
そばにあった丸石にお石の霊が乗り移って夜毎に泣いたため、里の者はその石を『夜泣き石』と呼んでおそれた。
生まれた子は夜泣き石のおかげで近くにある久延寺の和尚に発見され、音八と名付けられて飴で育てられた。
音八は成長すると、大和の国の刀研師の弟子となり、すぐに評判の刀研師となった。
そんなある日、音八は客の持ってきた刀を見て「いい刀だが、刃こぼれしているのが実に残念だ」というと、客は「去る十数年前、小夜の中山の丸石の附近で妊婦を切り捨てた時に石にあたったのだ」と言ったため、音八はこの客が母の仇と知り、名乗りをあげて恨みをはらしたということである。
その後、この話を聞き同情した弘法大師が、石に仏号をきざんでいったという。
夜泣き石の場所現在夜泣き石と伝えられている石は2つ存在し、以下の場所に安置されている。
▪久延寺境内
▪国道1号線 小夜の中山トンネルの手前(東京側)の道路脇
子育て飴久延寺の和尚が飴で子を育てたという伝説から、子育て飴という、琥珀色の水飴が小夜の中山の名物となっている。
久延寺の隣にある茶屋「扇屋」が、峠を通る客に出したのが始まりとされる。
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